2009年03月13日
春の嵐
春の嵐
本日、百道(ももち)浜の辺りに行く用事があり、車で向ったのだが、相当風が強くて危なかった。停車中に車が横揺れし、運転中はハンドルを切られそうになるほど。こんなの久々である。まさに「春の嵐」という感じだったが、たぶん季節の変わり目で、冷たい空気と暖かい空気が急激にぶつかり合っているのだろう。車から歩道に目を移すと、木の葉の舞う姿が、いろいろな風の流れ(形状)を現していて面白かった。
ここ数年、私の作品では「宇宙」や「天象」をテーマとしたものが多く、抽象的かつシンプルに表現してきた。もう少しアクの強い作品に・・・という欲もあったが、これも性格の表れだろうか。
「宇宙」「天象」「天災」などは、幼少の頃から変わらず興味を持ってきたお題で、寒空を天体望遠鏡で観察したり、天気予報や地震、火山について調べたり・・・と、人間よりはるかに大きい力のなせる技に、恐れと敬意を抱いてきた。釣りが趣味なので、自ずとそっち方面に興味が出てきたということもある。ただ、最近は忙しくなる年齢(40代)ということもあり、バタバタしてあまりゆとりのない生活を送っている。また、街中に住んでいるので、密接に自然に接する機会が少ない。仕事上、パソコンに向う回数も多い。だからこそ、幼少のころから興味のある対象を表現しようと考えるようになっているのだろう。
しかし、週1~2回(時期によっては3~4回だが)、自分の工房のある、自然豊かな山奥に行くのは、心のオアシスとなっているようだ。まだ、自然を感じる力を保っていられる気がする。うちの子供なんかがちょっと心配だが、自然を感じる力を失ってしまうのは大事な何かを失うことのようで、相当悲しいことだろう。環境というのは実に恐ろしい。喧騒とした都会の中にも、様々な自然の移ろいがあるわけで、今日のように、ちょっとした変化に気づく自分でいられますように。
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本日、百道(ももち)浜の辺りに行く用事があり、車で向ったのだが、相当風が強くて危なかった。停車中に車が横揺れし、運転中はハンドルを切られそうになるほど。こんなの久々である。まさに「春の嵐」という感じだったが、たぶん季節の変わり目で、冷たい空気と暖かい空気が急激にぶつかり合っているのだろう。車から歩道に目を移すと、木の葉の舞う姿が、いろいろな風の流れ(形状)を現していて面白かった。
ここ数年、私の作品では「宇宙」や「天象」をテーマとしたものが多く、抽象的かつシンプルに表現してきた。もう少しアクの強い作品に・・・という欲もあったが、これも性格の表れだろうか。
「宇宙」「天象」「天災」などは、幼少の頃から変わらず興味を持ってきたお題で、寒空を天体望遠鏡で観察したり、天気予報や地震、火山について調べたり・・・と、人間よりはるかに大きい力のなせる技に、恐れと敬意を抱いてきた。釣りが趣味なので、自ずとそっち方面に興味が出てきたということもある。ただ、最近は忙しくなる年齢(40代)ということもあり、バタバタしてあまりゆとりのない生活を送っている。また、街中に住んでいるので、密接に自然に接する機会が少ない。仕事上、パソコンに向う回数も多い。だからこそ、幼少のころから興味のある対象を表現しようと考えるようになっているのだろう。
しかし、週1~2回(時期によっては3~4回だが)、自分の工房のある、自然豊かな山奥に行くのは、心のオアシスとなっているようだ。まだ、自然を感じる力を保っていられる気がする。うちの子供なんかがちょっと心配だが、自然を感じる力を失ってしまうのは大事な何かを失うことのようで、相当悲しいことだろう。環境というのは実に恐ろしい。喧騒とした都会の中にも、様々な自然の移ろいがあるわけで、今日のように、ちょっとした変化に気づく自分でいられますように。
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Posted by 瑞緒(ミズオ) at 23:29│Comments(0)
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