2010年11月26日
20年前の中国旅行で・・・その3
20年前の中国旅行で・・・その3
中国旅行の話の続き・・・。
さて、中国本土の広州駅で、どうしようもない混乱に巻き込まれた私と相棒。途方に暮れてばかりもいられないので、今後をどうするか思案。話し合いの結果、桂林行きはあきらめて広州の観光旅行に集中することに。
約一年前の湾岸戦争時に2ヶ月ほどヨーロッパ旅行をした経験から、困ったときには駅のインフォメーションが頼りになることを思い出す。我々は駅構内に戻ってインフォメーションを探した。そこで広州市内の旅行案内所を見つけ、いわゆる「地球の歩き方」に掲載の比較的良いホテルを受付に示してアポイントを取ってもらい、タクシーでホテルに向かうことに。
駅前広場のタクシー乗り場で、タクシーに乗り込むと・・・ん? 運転手と我々(後部座席)との間に、網格子の仕切りが・・・。ここ中国も、なんか物騒なんだろうな?と思いつつ、ホテルの名前と位置を格子越しに指示して、いよいよ市中央部に向けて発進!!そこそこ運転が荒いのが気になりつつも、駅からまっすぐ伸びた大通りを順調に直進し、灰色に薄汚れた高速道路に入って、ホテルのある運河方面へ。
それにしても、途中の街並みの様子は印象的だった。灰色にすすけたビルが乱立し、その合間を縫うように高速を車で走る状況は映画のワンシーンのよう。なんかこう「こんなところまで来ちまったぜ・・・」とつぶやきたくなる感じ。当時の日本はバブル経済に沸いており、相棒と私は東京に住んでいたが、およそ日本のような整った環境とは世界が違う。不安ばかりが大きくなってきた。
そうこうするうちにホテルに到着。そこは長崎でいうところの出島のような場所で、アメリカ領事館など各国の施設が建っている。ガイド本によると、そのあたりは比較的治安が良いとのことで、不安に駆られていた我々は、なんとしてでも安全第一!とそのホテルを選んだというわけ。一泊1,500円と当時の中国ではかなり高い料金(物価は日本の10~15分の1ほど)だったのだが、それも安全には変えられない。日本だったら格安だ・・・。
ホテルで少し落ち着きを取り戻した我々は、その後、広州での観光を始めたのだが、、、またまたとんでもない経験に見舞われる。やはり「中国は人間の大地」ということを、痛烈に思い知らされることになるのだが、この続きはまた次回・・・。
中国旅行の話の続き・・・。
さて、中国本土の広州駅で、どうしようもない混乱に巻き込まれた私と相棒。途方に暮れてばかりもいられないので、今後をどうするか思案。話し合いの結果、桂林行きはあきらめて広州の観光旅行に集中することに。
約一年前の湾岸戦争時に2ヶ月ほどヨーロッパ旅行をした経験から、困ったときには駅のインフォメーションが頼りになることを思い出す。我々は駅構内に戻ってインフォメーションを探した。そこで広州市内の旅行案内所を見つけ、いわゆる「地球の歩き方」に掲載の比較的良いホテルを受付に示してアポイントを取ってもらい、タクシーでホテルに向かうことに。
駅前広場のタクシー乗り場で、タクシーに乗り込むと・・・ん? 運転手と我々(後部座席)との間に、網格子の仕切りが・・・。ここ中国も、なんか物騒なんだろうな?と思いつつ、ホテルの名前と位置を格子越しに指示して、いよいよ市中央部に向けて発進!!そこそこ運転が荒いのが気になりつつも、駅からまっすぐ伸びた大通りを順調に直進し、灰色に薄汚れた高速道路に入って、ホテルのある運河方面へ。
それにしても、途中の街並みの様子は印象的だった。灰色にすすけたビルが乱立し、その合間を縫うように高速を車で走る状況は映画のワンシーンのよう。なんかこう「こんなところまで来ちまったぜ・・・」とつぶやきたくなる感じ。当時の日本はバブル経済に沸いており、相棒と私は東京に住んでいたが、およそ日本のような整った環境とは世界が違う。不安ばかりが大きくなってきた。
そうこうするうちにホテルに到着。そこは長崎でいうところの出島のような場所で、アメリカ領事館など各国の施設が建っている。ガイド本によると、そのあたりは比較的治安が良いとのことで、不安に駆られていた我々は、なんとしてでも安全第一!とそのホテルを選んだというわけ。一泊1,500円と当時の中国ではかなり高い料金(物価は日本の10~15分の1ほど)だったのだが、それも安全には変えられない。日本だったら格安だ・・・。
ホテルで少し落ち着きを取り戻した我々は、その後、広州での観光を始めたのだが、、、またまたとんでもない経験に見舞われる。やはり「中国は人間の大地」ということを、痛烈に思い知らされることになるのだが、この続きはまた次回・・・。
Posted by 瑞緒(ミズオ) at 21:20│Comments(0)
│社会つれづれ