2010年12月01日

20年前の中国旅行で・・・その4

20年前の中国旅行で・・・その4

本日から12月。今年も残り1ヶ月となった。

さて、中国旅行の話の続き。

相棒と私は、広州のホテルに着いてから一息ついたが、部屋は日本のビジネスホテルのイメージに近い。築年数はだいぶ経っている感じで、壁や照明など、所々にほころびがある。それでも、その当時の中国ではある程度マシなホテルなのだろう。

我々は、食べ物の調達もあるし、市街地に出ることにした。ホテル近辺は領事館などが立ち並ぶ一角で、人通りは少なかったが、数百メートル歩いて繁華街に入っていくと・・・状況は一変!地図を見ながら更に市中心部の目抜き通りに入るあたりから、人の洪水に見舞われた。東京以上の混雑ぶりだ。歩道は超満員電車に詰まった人が流れるベルトコンベヤーと化し、交差点で左に曲がろうとしても・・・そちらには曲がれず「あれれれれれ~~~」と真っ直ぐ流されていく。なんせ、自分の歩けるスペースは30平方センチメートルもない状態だから、左側にいる人はスペースを空けてくれるわけもなく、そのまま流されるしかないのだ。そのまま数百メートル行きたくもないところまで延々と直進。「どういうとこなんや、ここはっ!!」と二人で半ば悲鳴を上げながら、ギュウギュウ詰めのなか歩き続けた。どこからこんなに人が沸いてきた!と驚愕しつつ、「人間の大地=中国」というのを、まさに肌で感じさせられた次第。

もう何キロも直進するわけにもいかない。我々は離れ離れにならないように気をつけつつ、何とか意思の疎通を取って、歩道の端の方へ行く合図を!体を隣の人の間にめり込ませながら必死で移動。端に到達すると、交差点のある所で車道に落とされないよう踏ん張って立ち止まり、信号が変わると横断歩道で対岸の歩道へ。対岸は逆方向に人が歩いているので、我々が行きたいショッピクングセンターに向かうことができた(が、それもまた人に流されていく・・・)。

人の歩いている流れをよく読まないと、行きたい所に行くことができないとは・・・恐るべき人の量。特にこの時期の中国は、都会のインフラが人の量に追いついていない感じがした。まさに混乱状態。それだけ多くの農村部の人々が職を求めて都会に集まって来ていたのだろう。

しかし、我々も少し慣れてきた。もっと大きい通りに向かって移動し、そこは歩道も少しは広いので、片側の歩道だけで両方向の流れができていた。ちょっと行き過ぎたとしても、隣の逆方向の流れに飛び移れば何とかなる。郷に入れば、郷に従え、ということで、我々は歩くコツを身に着けつつ、これから約一週間ほどを、この広州で過ごすことになるのだった。

この続きはまた次回・・・。



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Posted by 瑞緒(ミズオ) at 21:09│Comments(0)
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